茨木のり子さんが好きです。
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいような やさしさ
「落ちこぼれ」という詩の冒頭。
始めて読んだとき、胸が詰まるような、なんだか泣きなくなってしまうような感覚がありました。
素敵だなあ。
筆者は、今まであまり自覚がなかったものの、ちょっと完璧主義というか、とにかく頭がかちんこちんな傾向があって、
それがたたってか、しょっちゅう自律神経を乱れさせていたんですね。
もう自分のせいなんですけど。
でも、気が付かないんですよね。その時は。
いつの間にか不調が現れて、苦しくなって、もう大変。
なんていうか、極端なんです。
こんなこともできない自分は、楽しむ資格なんか無い。
とか本気で思っちゃうくらいの、やばい人間でした。
そんなガチガチでボコボコな私の偏った頭を、するすると解きほどいて、血のめぐりを良くしてもらえたような、そんな詩でした。
それにしても、
和菓子の名につけたいようなやさしさ
て、
なんていうセンス!!
現代において、素敵な表現を用いるクリエイターの方は沢山いらっしゃいます。
だがしかし。
すごすぎないか、昔の日本人。
それから、他の作品ですが、
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
これは、「汲む」という作品の一部。
なんてこった!
なんかもう、自分が拙すぎて、地面に埋まりたくなりました。
些細なことで傷付いたり、気にしすぎてしまったり、
そんな弱い自分が嫌で、なんとかして強くなりたくて、何でもないように見せたくて、
でも結果、そういう強がりは透けて見えてしまうものだし、
何と言っても、気が付かないうちに誰かを攻撃しているんですよね。
あーあ。
柔らかく、物事に対峙していたいものです。
最後に、「汲む」の最後の部分。
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている
きっと……
弱さを、自分のものにして、
大切な人たちに愛を注げるようでありたいです。