顔を上げて、無駄なことをする

毎日仕事をして、生活に追われていると、どんどん効率を求めて、無駄なものを減らそうと頭を使い始める。

節約することを考えて計算しているときは、ぐるぐると思考が回る。

日々無駄遣いをしないように、時間を有効に使うように、そう心がけながら生きる。

最初は達成感がある。

しかし、それを続けていると、いつの間にかものすごく視界が狭くなっていることに気が付く。

ごはんを、おいしいと思って食べるような感覚を、失いかけていることに気が付く。

人の心を動かすのは、一見無駄に思えるようなことの中にあったりするのだ。

毎日、少しずつはみ出してみると、意外とそれが、自分が求めている何かへの近道になったりもする。

わざわざ寄り道する必要もないけど、ちょっと気になっていたお店に寄ってみるとか。誰も一緒に行く人がいなければ、お一人様に挑戦してみるとか。

特にこだわる必要もないけど、ちょっと癒しが欲しい気分だから、高くても1番自分がリラックスできる家具を買うとか。

別にお金があるわけじゃないけど、誰か、自分にとってかわいい人に、おいしいものを奢ってあげるとか。

行き過ぎたらもちろん駄目だけど、そういう余分に思える小さなことの積み重ねが、心の豊かさを作っていってくれるような気がする。

いつでも少し無駄をする。

無駄って、かわいらしいもの。愛すべき、幸せの余剰。

下を向いて考え込んでいるならば、顔を上げて無駄なことをしてみよう。

恐ろしさの飼い慣らし方

小説家の西加奈子さんが好きだ。

「くもをさがす」という、西さん初のノンフィクション小説を1年くらい前に読んだ。

ご自身が乳がんになったときの体験を元に書かれた小説なのだが、印象的なのは、がんを完全な悪者として捉えてはいないところだった。

がんも、自分が作り出した細胞。共存はできないから治療をするだけ。

そう、書いてあった。

それから何かの対談がYouTubeにあがっているのを見て、更に感激した。

病気がなぜ恐ろしいのか。人間が感じる恐ろしさは、突き詰めると死への恐怖へ繋がる。というくだり。

ここでもまた、西さんらしい素敵なフレーズが飛び出した。

恐れを見ない、というようにはしない。

恐れを抱きしめて向き合う。

その正体が何だったのか。恐怖という感情を通して、自分は何と対面していたのか。

そうやって、自分のものにしていく。

恐れは自分が作り出したものだから、

幸せや喜びと同じように、愛すべき、大切にすべきもの。

死ぬのが怖いというのは、失うのが恐ろしいくらいに、今が幸せなのだということ。

こんな感じでした、まとめると。

ほんっとに、素敵すぎる…

「恐れは自分で生み出したもの」

この言葉を胸の奥に常に仕舞っておいて、自分の感情と向き合って、一歩一歩前に進んでいきたいです。

旅行

空の上から書いている。

旅が与えてくれるものは何だろうか。

毎日の繰り返しから離れる体験から得られるものは、

目には見えないけれど、確かに自分の栄養となり、また新しい場所へ連れて行ってくれるような気がする。

旅先の気候、街の温度感、食べ物、そこに住んでいる人たち、観光客も立派な景色のうちのひとつ。

最近はインバウンドばかりで、人気の観光地なんかは、ここほんとに日本?って思うくらいの賑わい方だけれど、

そのどこか日常離れした光景の中に、私たちの気が付かなかったような発見があったり。

こんなに観察ができる時間って、案外普段の生活だと無いのかも?と思ったり。

そうか、いま自分の居る場所から少しだけ離れて、違うことをするだけで、こんなに見えるものが変わるのか。

そんなありふれたような些細な発見の積み重ねが、

未来の可能性を広げていくんじゃないか、なんて思ったり。

経験すること。

それが、1番、自分の五感を、頭を、研ぎ澄ませてくれる。

お買い物が好きな筆者は、

物を買うのも経験だよね?

と都合良く考え、

明日からも好きな物を買い、好きな物を食べ、お財布と相談しつつ旅行にもたくさん行こうと思いました。

てへ。

中イキを習得した日

皆さん、中イキできますか?

私はずっと都市伝説だと思っていましたが、

急にできるようになったときがあります。

忘れもしない、24歳の誕生日(笑)

遅いのか早いのかはわかりませんが、とにかく感動したのを覚えています。

気持ち良さとかより、ほんまにあるんだ!できるんだ!って(笑)

唐突に、コツをつかんだんですよね。

腰の角度、膣圧、筋肉の使い方。

そんなところでしょうか。

正常位の場合は、思い切って腰を浮かしてお尻を引き締めます。

私はこれで、格段に感度が上がりました(笑)

まあこれ続けるとすんごい内ももの筋肉使って、毎回筋肉痛になるんですが(笑)

なんか、でも、

今までセックスって、男の人と一緒にいるためにはやんなくちゃいけないのかな、みたいな、自分にとってはそういうものだったんです。

それが、自分でコントロールすれば最高に気持ちよくなれるもの、

に、変わったんです。

これは超大発見。

もはや革命レベル。

自分の体を使って、思いのまま人生を楽しめる女性を目指したいです。

満喫してる人って、かっこいい。

核を求めて

誰しも、「ああ、あの人らしいね」と言われるような、

そんな軸というか、核になるもの

その人らしさを形作る本質がありますよね。

でもそれって、意外と自覚していないことが多い。

私もそう。というか、属するコミュニティによって、キャラクターは変わってくるものだと思います。

どんなときの自分も、本当の自分。

でもどこか実際の自分とギャップを感じたり。

まあそんなこと考えず、その時その時で順応していればいいのだけれど、

それだけじゃ、磨かれない感じがする。

磨かれるって、何? て、感じだけど

でもそういう「核」が欲しいと思ってしまうのです。

それがあれば、ひとつのブランドみたいに生きていける気がする。

ぶれない魅力。圧倒的な「個」。美しさ。理念。

この現代において、自分のままで居続けるのは、至難の業なのではないかと思います。

それでも、いつでも頭をすっきりとシンプルにしておきたい。

自分の声を、ちゃんとすぐに取り出せるように。

新しい場所へ飛び込んでいけるように。

書いて、書いて、毎日向き合っていれば、

いらないものを削って、いつか私の芯みたいなものが出てきてくれるかもしれない。

愛しき落ちこぼれ

茨木のり子さんが好きです。

落ちこぼれ
 和菓子の名につけたいような やさしさ

「落ちこぼれ」という詩の冒頭。

始めて読んだとき、胸が詰まるような、なんだか泣きなくなってしまうような感覚がありました。

素敵だなあ。

筆者は、今まであまり自覚がなかったものの、ちょっと完璧主義というか、とにかく頭がかちんこちんな傾向があって、

それがたたってか、しょっちゅう自律神経を乱れさせていたんですね。

もう自分のせいなんですけど。

でも、気が付かないんですよね。その時は。

いつの間にか不調が現れて、苦しくなって、もう大変。

なんていうか、極端なんです。

こんなこともできない自分は、楽しむ資格なんか無い。

とか本気で思っちゃうくらいの、やばい人間でした。

そんなガチガチでボコボコな私の偏った頭を、するすると解きほどいて、血のめぐりを良くしてもらえたような、そんな詩でした。

それにしても、

和菓子の名につけたいようなやさしさ

て、

なんていうセンス!!

現代において、素敵な表現を用いるクリエイターの方は沢山いらっしゃいます。

だがしかし。

すごすぎないか、昔の日本人。

それから、他の作品ですが、

頼りない生牡蠣のような感受性

 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

これは、「汲む」という作品の一部。

なんてこった!

なんかもう、自分が拙すぎて、地面に埋まりたくなりました。

些細なことで傷付いたり、気にしすぎてしまったり、

そんな弱い自分が嫌で、なんとかして強くなりたくて、何でもないように見せたくて、

でも結果、そういう強がりは透けて見えてしまうものだし、

何と言っても、気が付かないうちに誰かを攻撃しているんですよね。

あーあ。

柔らかく、物事に対峙していたいものです。

最後に、「汲む」の最後の部分。

あらゆる仕事

 すべてのいい仕事の核には

 震える弱いアンテナが隠されている

 きっと……

弱さを、自分のものにして、

大切な人たちに愛を注げるようでありたいです。

何もかもが無意味に思えるとき

自分がやってきたこと、今やっていること、目指していること。

そういったすべてが無意味に、むなしいものに思えるとき、ありませんか。

私はちょいちょいあります。

始めたときは、とにかく習慣化させるために必死で続けようとするんです。

例えば、糖質を取りすぎないとか、毎日文章を書くとか、早寝早起きとか、スキンケアとか、本を読むとか。

でも急に、来るんですよね。奴が。

不意打ちでやってくるぞっとするくらいの無気力。

筆者は女なので、大体月に一回、生理に合わせてやってくることが多いですが、ひどいときはそれが数週間続いたりもします。

正直、超しんどい。

自分で決めたこともうまくできなくなるから、自己嫌悪で負のループです。

ああ最悪。

でも、繰り返すたびに、少しずつ、そんなときもあるよね、と。

むしろ当然じゃない? 人間だもの。と。

そんな風に思えるようにもなってきました。

そういうときはもう、休む。自分が思いきりくつろげるように、整える。

自分のことを、赤ちゃんだと思って、どうやったら泣き止むかな、この子。ってなくらいの客観的な目を持つようにします。

赤ちゃんだから、思うように動いてくれないのも、駄々こねちゃうのも、しょうがないですよね?

自分をあやして、ご機嫌をとってあげて、心地よくすごせる空間を大事にします。

しんどいけどね。ほんとは。

なんだろう、後は、普段から張り切り過ぎないように、テンション上げ過ぎないようには、気を付けてます。

燃え尽き症候群みたいな? それって結構怖いんですよね。

アップダウンをコントロールできるように、奮闘中の筆者です。

淡々とやっていける人が羨ましくもあるけど、でも、これで自分をコントロールする技を磨いておけば、いつか体が不自由になるような歳になったときに、心強いかも。

なんて。

自分にとって適正なもの

適正とは、何だろうか。

自分にとって適正なもの、丁度いいもの、身の丈にあっているもの、必要なもの。

日々のあらゆる選択で、そのことがふと頭に降りてくる。

何を選ぶのが、自分にとって「違うこと」ではないのか。

「正しい」こと、というのとはちょっと違う気がする。

それはそのとき、自分がどんなステージにいるか、どんなものを求めているかによって変わってくるだろう。

だが、ひとつ思ったのは、常に自分の身の回りを、心地いいもので埋めておけば、その時々の選択を間違うことはないのではないか、ということだ。

どんなものを持っていれば、気持ちが満たされるか。

どんな人を一緒にいるときの自分が好きか。

どんな話を聞くのが楽しいか。

どんなことをしているときに自分は喜んでいるのか。

そういう何気ない、日常の些細な気持ちの変化を、誰よりも自分で把握して、覚えておくことが大事なのではないだろうか。

そのためには、まずは経験が必要。

そして冷静に振り返るための時間と、安心して過ごせる空間が必要。

沢山外に出よう。

そして歩こう。

意識して自分の時間を作ろう。

自分の声を素直に受け入れよう。

肉体がある限り、どうしてもずれたことをしてしまったり、間違えたりするけれど、

なるべくまっとうでいるために。

そして人を大切にできる自分でいるために。

適正さを心がけて生きていきたいものです。

貯金をばかみたいに減らしたとき

気が狂ったようにお金を使っていた時期があった。

ニーサとか資産成形の話題でいっぱいなご時世だったが、

まずは自分に投資じゃないか?

などと考えて、がばがば使っていた。

自己投資なんていっても、何かスクールに通うとか、そういうことをやっていたわけではない。

とにかく、心がきらめくものを沢山探したのだ。

今までは高いと思って諦めていたものを、思い切って買ったりした。

本を沢山買った。今まではハードカバーってかさ張るし高いから、文庫になるまで買わなかったのだけれど、

やっぱり最新のが読みたい。

自分の中にある「好き」とか「気になる」とかを、徹底的に追い求めた。

人に惜しみなくプレゼントを渡した。

旅行にもたくさん行き、おいしいものをたくさん見つけた。

貯金はあっという間になくなったけれど、

お金が減った代わりに、心の余裕と、明るさ、優しさが生まれていた。

世の中の美しさ、豊かさを、自分の体を通して知ることができた。

それからものと節約生活に戻るのはつらかったけれど、

自分の心に素直になると、こうなるんだ、ということが分かった。

このお金の使い方が正解だったのかは分からないけれど、

やってよかったな、とは思う。

来年、何をしているのか、どうなっているのか、ちょっと不安だけど、楽しみ。

思いきりひとりになりたい

誰にも邪魔されたくないと思う時がある。

それも、頻繁に。

自分の意識すらも、邪魔だと思う。

こんなことを考えるのは変なのではないかと、少し前まではしょっちゅう不安になって、

こんなおかしな自分は、もしかしたら誰とも分かり合えず、

孤独になっていくのかもしれない、とそんなことを考えて落ち込んでいたときもあった。

ただ、最近になって気が付いたのは、

ひとりになりたくなるのは、自分が他のひとから影響を受けやすいからなのではないか、ということ。

それから、他人の気持ちがすぐ分かってしまうから、というのも原因としてありそう。

フラットでいたいと思っているのだ。

影響を受けやすかったり、他人の気持に敏感なのは、同時に自分の感情の起伏も激しくなってしまいやすいということ。

感情の起伏が激しいと、判断力が鈍る。

心豊かで、しなやかな人でありたい。

だからこそ、ひとりの時間はかけがえのない、大切な大切な、自分を守り、成長するための時間。

どんなに忙しくても、意識して守りたい。

そんな時間の中で、なんとなくふんわり浮かんだものが、きっと生きていくための優しい道しるべになるはず。